新生食品の歴史
第1話新生食品のはじまりと、やきとりしんちゃん
業務用鶏肉卸売業の和光フーズは、スーパー店頭でやきとりを屋台で焼くことを新事業として立ち上げました。 まだ、作りたて弁当やファーストフードがなかった時代です。やきとりは爆発的に売れました。しかし、現場でやきとりを焼いているのは社員、パートさん、アルバイトでした。 それではいくらがんばっても手取は決まったものです。やきとりは売れる。自分で稼ぎたい。現場では、独立して、 オーナーとしてやっていきたい、そんな空気が流れるようになってきました。
その当時和光フーズの専務だった中村は、そんな現場の人間に、独立採算制で、自分の実力を試さないか、オーナーとしてやきとりを焼かないかと、問い掛けました。
そして自ら和光フーズより独立、新生食品株式会社を立ち上げ、オーナー制のやきとりしんちゃんを経営すること になったのです。もちろん社長自ら現場で焼きました。
現場でのやきとりの売上が、現在の新生食品の基盤を作ったことは間違いありません。
第1話新生食品の根本理念
そんなことで、新生食品でやきとりを焼く人が増えてきた頃です。ブラジルから帰国して国内で仕事を探している 人たちに出会ったのは。
ブラジルへの移民は歴史の示す通り過酷なものでした。しかし、ブラジルから帰国した人々に対しても、国籍が日本人でないと仕事に就けないという過酷な事実があったのです。もちろん、親戚縁者を頼った帰国人もいました。 しかし、2代3代になるにしたがって、知人も少なくなり、そういった人々は、仕事に就くのが難しく、就いても安い賃金で働かされることが当たり前でした。そうした中、彼らの中の一人が、新生食品のやきとりしんちゃんに出会っ たのです。
新生食品は、創業以来「やる気のある人には、金がなくても商売のチャンスを与えよう」という根本理念がありました。そしてその不遇さを何とかしたいという反骨精神を見取った中村は、彼を採用することに決めたのです。
彼はやきとりを焼きました。来る日も来る日も。彼にとって、お客様が来るかぎりお休みは取りませんでした。 毎日、焼き始めてから閉店まで、必死で焼きました。 始めのうちは、ぽつぽつだったお客様も、だんだん増えてきました。彼は胸中の葛藤を笑顔に変えてお客様に接しました。そのうち「あなたのやきとりおいしいわよ」と、何度も通ってくれるお客様ができてきました。そうすると大変です。毎日お客様が並びます。毎日が戦いです。とにかく一本でも多く、一本でも早く焼く。腕が腱鞘炎にな りそうです。お箸がもてなくなりました。それでも毎日営業です。
でも、そんな忙しさが、彼に生きる喜びを与えました。「お客様がいるから俺がいる」と。 そして1年が経ち、2年が経ち賃貸アパートから一軒家を買おうか、というところまできました。
彼の仲間も、やきとりしんちゃんに加盟するようになりました。そして、彼らがやきとりしんちゃんの一大時代を作ることになったのです。
第3話人を大事にするということ
彼らは、日本に本拠地が移ってもブラジルとの交流がなくなるわけではありません。ある時、彼らの仲間が、やきとりを焼くのにこしょうを使うが、ブラジルのこしょうを使ってみませんか、という話がきました。 ブラジルは、こしょうの世界的産地です。その中でも、トメアス農協産のこしょうは、品質面において世界最高級を誇ります。価格面でもやきとりしんちゃんで使う量は相当あり、大量買い付けできますので、安く輸入できます。
そこで、新生食品は、ブラジルトメアス農協産の黒こしょうを輸入することになりました。
トメアス側としても、日本に輸出するのは当社が初めてでした。
それから、トメアス農協とずっとお付き合いさせて頂いています。やきとりの塩焼きに、こしょうは欠かせないものです。やきとりしんちゃんの味にも、大いに貢献しています。こしょうひとつを取っても他社では真似のできない、やきとりしんちゃん唯一の味となっているのです。
第4話新生食品のこれから
新生食品の目標は「安心・信頼・感謝の食文化の提供」です。
もっと皆様に笑顔になって頂けるよう、人と会い、人に学ぶ。絆を大切に社会に役立つ企業を目指し、ますます がんばってまいります!